SSブログ

Twitterまとめ投稿 2019/01/26


nice!(0)  コメント(0) 

Qualityオーディオ [音楽的発想]

昔々、ちょっとだけ昔、「オーディオブーム」があった。

家庭で音楽を本格的に聴くとなるとステレオだった。

オーディオ機器メーカーこぞって製品を開発販売していた。

「アンプ」「スピーカー」「レコードプレーヤ」「チューナー」「テープデッキ」などなど機器と録音媒体を各メーカー競って技術開発をして個性を発揮し、機種選定はうれしい悲鳴がでたものである。
いわゆる、コンポーネント「コンポ」を組むのが楽しみの一つであった。

オーディオアクセサリーも必然的に商品化されていく。
オーディオ雑誌も多数出版されているのである。
自分だけの自由な組み合わせを作っていくのである。

スピーカーは「原音忠実再生」を目指し「目を閉じて聞くとそこにコンサートホールの息使いまで聞こえる」なんて、素材を吟味したり形状を変えたり試行錯誤で楽しませてくれた。

また、スピーカーケーブルを変えるだけで「音が良くなる」など独特のノウハウを展開していた。

LPレコードはA面B面ひっくり返しなから聞いていた。静電気防止スプレーかけてベルベットのクリーナーでホコリを掃除してからおもむろにターンテーブルに乗せて針を落とす。A面が終わるとトーンアームが自動的に元の位置に戻り、B面へ...

音色を変えたければ「カートリッジ」を変えてみる。などなど...

何とものんびりしていた。

レコードでも、テープデッキでも「グルグル」回っているのが見えて「音を出してくれているな~」って、安心感があった。

アナログ構成による「quality」だったのである。

今でも懐かしい。

my choice








姿勢を正して [理論物理学]

月で任務を終えた、「アポロ月面着陸機」は月面から離陸する。
重力は地球の1/6であるのでジェットは軽い。
「オデッセイ」と「ドッキング」した後、姿勢を制御する。
地球への再突入のためである。
:角度が深ければ大気との摩擦で燃え尽きてしまう。
:また浅すぎると大気に跳ね返されて宇宙に放り出されてしまう。
メインコンピューターで計算した再突入値は、クルーが「再計算」し、管制官が「検算」すると再突入の角度が割り出される。
オデッセイを切り離し地球に戻る。
大気は厚い。
大気突入時には「通信」は全く効かないので結果を待つしかない。
・・・・・・
「ヒューストン、ヒューストン、聞こえますか」

無事、地球に生還したのである。

Slow Ballade [幼少時代]

「幼い頃」を思い出してみる。

木枠の窓を開けて、夜空をみていた。
ベランダにほお杖をついていた。
しばし、時を忘れていた。

あたりは、街の明かりがちらほらと。
月影と星が出ていた。
夜風が涼やかである。

遠くの方で汽笛の音が聞こえた。
夜行列車の汽笛の音である。
当時(昭和30年代)列車と言えば蒸気機関であった。

「ぴー」「ぴー」「ぴー」

「長い波長」で遠くから響いてくる。
まるで生き物のようなのである。
哀愁を感じたりする。

歌謡曲もなぜか「のんびり」した感じ。
「黒猫のタンゴ」は、アジのひものをお預けにされたりした。
「バラが咲いた」ら、さみしかった僕の庭が明るくなったりした。
「上を向いて歩こう」とするのは、涙がこぼれないためだった。

何とも「スローバラード」ではないか。

もう一度...もう一度...

聴かせてほしい「Slow Ballade」

「beautifulじゃないの」 [ファッション]

1970年代、捨てぜりふのように言われた一言である。
ある時代の中で、立ち上がろうとする若者がいたのである。

求めていたのは「美しさ」とか「愛らしさ」とか、曖昧なものではあるが、そこに「大きく存在する」ものであった。

なんの役をするのか?

私なりに解釈すると「buffer」の役割である。
つまり、やわらげの働きをすると思われるのである。

「beautiful」の類義語は、たくさんある。
:「lovely」「handsome」「pretty」「comely」「fair」「good-looking」などなど...

これは
「beautifulじゃないの」と私は思うのである。

つかまえた [描写的詩]

「はなさないぞ」


Escape [猫のび]

昔々。ちょっと昔。

大学生になって、何人かの友達ができた。

「講義」「実習」「レポート」など勉強は忙しかった。
単位を取れないと、次の学年にすすめないので割ときつかったのだ。

初めての上京。

一人暮らしなので、身の回りのことをすべてこなさなくてはならないのだ。
これも初めてである。


「サークル」もある。

部員は、6名ぐらいの小規模であった。

「放送部」を選んだ。

........

しかし、スケジュールがつまり、煮詰まってしまってどうしようもないときに「Escape」するところが私にはあった。

他の友達の下宿にいって「ただ寝転んでいる」という方法である。

心が落ち着いた。

「damage」が少しずつなくなっていく。

ほとんど会話はないが、気持ちはわかってもらっていてくれた。

一緒にアルバイトをしたこともあった、良き友である。

........

「放送サークル」では失敗が多かったが、何とか続けられた。

4年生では就職活動が始まるので、お休みして、3年生のときだったか「部長」に就任された。


その年の「文化祭」のときのことを今でも覚えている。

歌手「マリーン」が学祭に招かれておおいに盛り上がった。


「放送部」としては、ミニFM局を開催したりした。


もう盛大なお祭りになった。

........

午後10時頃学祭の締めが行われた。

「ビール」で乾杯して、成功を祝った。


またどこからともなく「胴上げ」が始まった。

部員が次々胴上げされていく。

最後に、私が胴上げされた。


雲の上にいるような気持ちで、胸がこみ上げた。


これも、孤独と不安を「Escape」してくれた友達がいてくれたからだと感謝している。


「大学」は人生を勉強する場であったと今でも思っている。

my choice

私の得意技 [猫のび]

ペン、を持つと「ワクワク」するのである。
この文章も実際はペンで書いているのである。

ペンを持って、紙に書く。
スラスラ書けてしまうのである。
なんでもないようだが、ずっと書かないでいると「文字」が崩れてしまうしまうことに気が付いた。

ずっと書いて全体を眺める。
「推敲」をするのである。
英語で言うと「edit」かな?

万年筆で書くと「おおらかな」
ボールペンで書くと「力強い」
シャープペンで書くと「繊細な」
タッチになる。

まるで「文字」も「絵」を書いているようである。

Twitterまとめ投稿 2019/01/24


nice!(0)  コメント(0) 

恋の季節 [幼少時代]

昔々。ちょっと昔。
1960年代、大ヒットし流行歌になった曲がある。

「ピンキーとキラーズ」の「恋の季節」である。

知っている人は知っているし、知らない人は知らないであろう。

私は、幼かったときオンタイムで聞いていたのでよく口ずさんでいた。

ファッションはシルクハットにタキシードである。
これも背伸びしてまねをしていた。

歌詞が何ともストレートで、「情景描写」が卓越していた。

思い出しながら歌詞を書いてみる。

忘れられないの
あの人が好きよ
青いシャツ着てさ
海をみてたわ

私は裸足で
小さな貝の船
浮かべて泣いたの
訳もないのに

恋は
私の恋は
空を染めて燃えたの

死ぬまで私を一人ににしないと
あの人が言った
恋の季節よ...

失恋の歌であり、女性の心には「jealousy」があるらしい。

そこがちょっと昔の「恋愛観」であったような気がする。

現代の「ドライ」な感じではなくちょっと「ウエット」な情緒が感じられて、懐かしいなあと思うのである。

当時の「人間の内面性」をしみじみと思うのである。

my choice


1968年結成のボサノバ・グループ。前年の1967年に15歳で「甘ったれたいの」でビクターレコードからソロ歌手としてデビューした今陽子(ピンキー)がキングレコードに移籍し、男性ボーカルのジョージ浜野(ギター、1941年1月1日 - )、エンディ山口(ギター、1945年6月12日 - )、ルイス高野(ベース、1947年1月14日 - )、パンチョ加賀美(ドラムス、1944年2月21日 - 2018年5月29日)の4人と結成。グループ名はアメリカのバンド「スパンキー&アワ・ギャング」をもじったもので、作曲家のいずみたくが命名した。山高帽にステッキという衣装をトレードマークにしていた。
デビュー盤『恋の季節』のライナーノーツには『セルジオ・メンデスを目指す新進気鋭のグループ』と書かれていた。
デビュー曲の「恋の季節」(岩谷時子作詞、いずみたく作曲)は発売直後からヒットを記録し、オリコンで17週間1位(歴代最高記録)となるミリオンセラーを記録し、270万枚を売り上げ、「第10回日本レコード大賞新人賞」を始め、数々の新人賞を受賞し、第19回NHK紅白歌合戦では男女混成グループとして初の出場を果たした。また1969年2月、同名映画が彼ら主演のもとに松竹にて製作され、公開された。
1969年1月、4枚目のシングル「涙の季節」が発売され1位になり、続く「七色のしあわせ」が4位、「星空のロマンス」が10位とオリコンのトップ10に入ったが、それ以降トップ10からは遠ざかった。1972年2月に今がソロに転向し脱退。脱退した理由は今陽子が「おっさんたち、足手まとい!」とキラーズに暴言を吐いた為である。一方、キラーズは2人組の女性ヴォーカル(ラブリーズ)を加え、ニュー・キラーズとして再スタートするが、1974年3月、解散する。
「ナショナルパナソニックテレビ パナパナ」「ナショナル冷凍冷蔵庫」(松下電器)などのCMに出演し、CMソングを歌っていたこともある。
その後、懐メロ番組(NHK『思い出のメロディー』やテレビ東京『にっぽんの歌』等)への出演のために単発で再結成する事があったが、キラーズは全員がオリジナルメンバーだったかは不詳である。『今陽子とキラーズ』とクレジットされた事もあった。
2008年7月30日、今陽子の脱退以来、36年ぶりにオリジナルメンバーでピンキーとキラーズが再結成することになった。今陽子の芸能生活40周年記念ディナーショーにメンバーが集結する形で登場した。

(a quotation from Wikipedia)




この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。