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悲しきサルタン [音楽的発想]

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DIRE STRAITS

program

1.DOWN TO THE WATERLINE
2.WATER OF LOVE
3.SETTING ME UP
4.SIX BLADE KNIFE
5.SOUTHBOUND AGAIN
6.SULTANS SWING
7.IN THE GALLERY
8.WILD WEST END
9.LIONS

DIRE STRAITS

Lyrics reproduced by kind permission
of Straightjacket Songs/Rondor Music

Songs by Mark Knopfler.
Recorded at Basing St.Studios,London,Feb.1978.
Engineered by Rhett Davies.
Produced by Muff Winwood.
Design & Artwork by Hothouse.
Cover painting by Chuck Loyola at Hothouse.
Photography by Paddy Eckersley.
Art Direction by Alan Schmidt.
For Charlie Gillett.
Thank you Robert Allan.

天才的なギタープレーです。
「マーク・ノップラー」の静かながら、エネルギッシュな正確きわまるエレキサウンドには脱帽です。
地味なアルバムですが、歴史に残るのではないかと、私は思っています。
特に耳に残っているのは、「悲しきサルタン」です。
このアルバムがリリースされたのは、もう何年前のことでしょうか?
今でも色褪せることのない1枚です。
ギタープレーヤーを目指す人は、是非参考にして欲しいです。

この曲を初めて聴いたのが、高校の教室内の呼び出し用ののスピーカーだった。
やたらエレキギターが「カリカリ」して、今までになかった「音」と「エレキ」の使い方でしばし聞いていた。

1978年にファースト・アルバム『悲しきサルタン』をリリースする。ルーツ・ミュージックに独自の解釈を施した音楽に高い評価を付ける向きもあったものの、当時のトレンドである音楽ジャンルとは異質であり、直ちにチャート・アクションには反映されなかった。しかし、オランダのVPROラジオでファースト・シングルの「悲しきサルタン」がヘヴィー・ローテーションされた頃から風向きが変わりチャートを上昇、その後ヨーロッパとアメリカに飛び火した人気が本国も刺激し、ツアーの効果もあってアルバムは全米で2位、全英で8位を記録し、全世界で1,500万枚を売り上げる。また、ロサンゼルスでダイアー・ストレイツのライヴを観たボブ・ディランは、ノップラーとウィザースをアルバム『スロー・トレイン・カミング』のレコーディング・メンバーに起用した。
1979年にはセカンド・アルバム『コミュニケ』も成功を収めるが、1980年、アルバム『メイキング・ムーヴィーズ』制作中にデヴィッド・ノップラーが脱退し、Eストリート・バンドのロイ・ビタンが代役を務める。その後ハル・リンデスとアラン・クラークが加入し、バンドは5人編成となった。
1982年、アルバム『ラヴ・オーヴァー・ゴールド』が全英アルバムチャートで1位を獲得し、同作からの先行シングル「哀しみのダイアリー」がイギリスやオランダ等で大ヒットするが、同アルバムを最後にピック・ウィザースが脱退し、元ロックパイルのテリー・ウィリアムズが加入。1983年には、最初で最後の日本公演も行った。同年にはノップラーとクラークがボブ・ディランのアルバム『インフィデル』のレコーディングに参加し、ノップラーは共同プロデューサーも務めた。その後ハル・リンデスが脱退しガイ・フレッチャーが加入。
1985年に発表したアルバム『ブラザーズ・イン・アームス』では、スティングをフィーチャーしたシングル曲「マネー・フォー・ナッシング」の3DCG(当時としては最新鋭の技術であった)を取り入れたミュージック・ビデオが、MTVで大量にオンエアされた(ちなみに、元々はMTVに対する不満などを述べた曲なのだが、MTVによってヒットしたという皮肉な結果に終わっている)効果で全米1位を3週連続でキープする爆発的なヒットを記録。イギリス国内だけでも390万枚以上を売り上げるセールスを達成し、英国内での歴代アルバムセールスランキングでも、クイーンの『グレイテスト・ヒッツ』、ビートルズの『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』、ABBAの『アバ・ゴールド』、オアシスの『モーニング・グローリー』、アデルの『21』、マイケル・ジャクソンの『スリラー』に次ぐ歴代7位を記録(2012年5月時点)。また、並行して敢行された2度のワールド・ツアーの効果も相まって、最終的に全世界で3,000万枚を超えるセールスを上げる。なお、このアルバムはLPからCDへの移行期にあたり、大ヒットしたアルバムということもあり、売り上げ内訳で、LPよりもCDが売れたことでも話題になった。
1988年9月、マーク・ノップラーはダイアー・ストレイツの解散を発表し、10月にベスト・アルバム『マネー・フォー・ナッシング』が発表される。ノップラーとガイ・フレッチャーはノッティング・ヒルビリーズのメンバーとして活動。
1991年にはノップラー、イルズリー、クラーク、フレッチャーが再結集し、ジェフ・ポーカロやマヌ・カチェ等のセッション・ミュージシャンを迎えて制作したアルバム『オン・エヴリー・ストリート』をリリース。更に、同アルバム発表後のライヴを収録した『オン・ザ・ナイト〜ダイアー・ストレイツ・ライヴ』と、過去のスタジオ・ライヴ音源を発掘した『ライヴ・アット・ザ・BBC』をリリースするが、世界的グループとして大規模な公演を行うことに疲れを感じたマーク・ノップラーの判断で、1995年に再び解散が発表された。
バンドのアイデンティティのほぼすべてを、フロントマンのノップラーに負っており、彼が書いた楽曲以外の曲は、アルバムでもステージでもほとんど取り上げられていない(ごく例外的に、最初期のライヴではマークとデヴィッドが共作した What's The Matter, Baby? がセット・リストに入っていた)。
メンバー
マーク・ノップラー - ボーカル、ギター(1977年 - 1995年)
ジョン・イルズリー - ベース、バッキング・ボーカル(1977年 - 1995年)
デヴィッド・ノップラー - リズムギター、キーボード、バッキング・ボーカル(1977年 - 1980年)
ピック・ウィザース - ドラムス(1977年 - 1982年)
アラン・クラーク - キーボード(1980年 - 1995年)
ハル・リンデス - リズムギター、バッキング・ボーカル(1980年 - 1985年)
テリー・ウィリアムズ - ドラムス(1982年 - 1989年)
ガイ・フレッチャー - キーボード(1984年 - 1995年)
ジャック・ソンニ - リズムギター(1985年 - 1988年、ツアーのみ)


邦題「悲しきサルタン」

ちょっと悲しい感じかな。

でも、カッコイイ。[地下鉄]




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コメント 1

chyake

>OakCapeさんおはようごさいます
nice!ありがとうございます。
これからもよろしくお願いします。
by chyake (2011-06-01 04:02) 

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