ウルトラ進学計画(下宿探し編) [大学]
大学の下宿を探すために再び上京した。
大学についたところに新入学生用の下宿案内のブースが2軒ほどあった。
さっそく案内人に何件か案内していただいた。
日本全国から学生が集まるこの大学では下宿があちらこちらにあることが分かった。
そうして案内されて下宿を探しているうちに時間が経過した。
「そろそろ帰りの新幹線に乗らないといかんな」
家路につくことにした。
しかしここからが大変であった。
大学の前から出るJR駅に行くバスがなかなか来ない。
歩いて私鉄に乗って帰る方法もあるが時間がかかる。
バスを待った。
「...来ないな」
少しずつ焦りが出てきた。
バスでJR駅に着いたところで在来線に乗り換え東京駅の新幹線のホームへ。
地元に戻るにはPM7:00発のひかりに乗らなければならない。
もう走って乗り換えなければならないほどであった。
走った。
新幹線のホームに駆け上がった。
「あれ~!」
最終新幹線の扉が目の前で閉まってしまった。
呆然となったが、気を取り直し次発の新幹線に乗った。
新大阪どまりである。
新幹線の中で時刻表と格闘。
在来線とつないでどうにか地元に帰ろうとページを繰ったが姫路までしかたどり着けないことが分かってしまった。
新大阪で在来線に乗り換えた。
足取りは重かった。
家には公衆電話で連絡した。
姫路で電車を降りていったんホームの外へ出た。
夕闇であった。
「次の朝までここで過ごそう...」
夜ベンチで野宿をした。
次の朝始発で再出発。
駅に着いた時に父がが心配そうに出迎えに来てくれていた。
大学についたところに新入学生用の下宿案内のブースが2軒ほどあった。
さっそく案内人に何件か案内していただいた。
日本全国から学生が集まるこの大学では下宿があちらこちらにあることが分かった。
そうして案内されて下宿を探しているうちに時間が経過した。
「そろそろ帰りの新幹線に乗らないといかんな」
家路につくことにした。
しかしここからが大変であった。
大学の前から出るJR駅に行くバスがなかなか来ない。
歩いて私鉄に乗って帰る方法もあるが時間がかかる。
バスを待った。
「...来ないな」
少しずつ焦りが出てきた。
バスでJR駅に着いたところで在来線に乗り換え東京駅の新幹線のホームへ。
地元に戻るにはPM7:00発のひかりに乗らなければならない。
もう走って乗り換えなければならないほどであった。
走った。
新幹線のホームに駆け上がった。
「あれ~!」
最終新幹線の扉が目の前で閉まってしまった。
呆然となったが、気を取り直し次発の新幹線に乗った。
新大阪どまりである。
新幹線の中で時刻表と格闘。
在来線とつないでどうにか地元に帰ろうとページを繰ったが姫路までしかたどり着けないことが分かってしまった。
新大阪で在来線に乗り換えた。
足取りは重かった。
家には公衆電話で連絡した。
姫路で電車を降りていったんホームの外へ出た。
夕闇であった。
「次の朝までここで過ごそう...」
夜ベンチで野宿をした。
次の朝始発で再出発。
駅に着いた時に父がが心配そうに出迎えに来てくれていた。
モノクロ写真現像 [大学]
大学の研究室でモノクロ写真を扱うことがあった。
撮影・ネガ現像・ポジ現像・画像解析の4段階を行う。
撮影:金属のピースを樹脂で固めてバフ研磨する。顕微鏡で表面を拡大し写真撮影を行う。
ネガ現像:暗室で行う。まず撮影した35mmフィルムをパトローネ(金属の部分)から取り出し、リールに巻いて現像容器に収める。この工程はすべて手探りで行う(事前に練習をした)。
赤色ランプをともしネガ現像液を粉末から作り容器のキャップを開けて注ぐ。
タイマーで時間を計り時間が来たら容器のふたを開け現像液を流しリールに巻いたフィルムを水洗いする。そしてつるしてよく乾燥させる。
ポジ現像(引き伸ばし):ネガを数枚単位で切り離し引き伸ばし機に掛ける。
A4の大きさまで引き伸ばし印画紙に焼き付ける。これも焼き付け時間を守る。
焼き付けた印画紙を粉末から作った現像液に浸す。少しゆらゆらさせる。
現像出来たらこれも粉末から作った定着液に浸しゆらゆらさせる。
そして洗濯ばさみで挟んで暗室内で1日乾燥させる。
画像解析:解析の部分を黒いポスターカラーペンで丁寧に塗る。この部分を画像解析にかけていく。
アッセンブラプログラムで塗ったところの「粒子の大きさ」「粒子の分布状況」などをカメラ撮影しながらPCに取り込んで解析する。分布状況を数値化する。
写真の現像はかなりの段階を踏んで完成するのであった。
撮影・ネガ現像・ポジ現像・画像解析の4段階を行う。
撮影:金属のピースを樹脂で固めてバフ研磨する。顕微鏡で表面を拡大し写真撮影を行う。
ネガ現像:暗室で行う。まず撮影した35mmフィルムをパトローネ(金属の部分)から取り出し、リールに巻いて現像容器に収める。この工程はすべて手探りで行う(事前に練習をした)。
赤色ランプをともしネガ現像液を粉末から作り容器のキャップを開けて注ぐ。
タイマーで時間を計り時間が来たら容器のふたを開け現像液を流しリールに巻いたフィルムを水洗いする。そしてつるしてよく乾燥させる。
ポジ現像(引き伸ばし):ネガを数枚単位で切り離し引き伸ばし機に掛ける。
A4の大きさまで引き伸ばし印画紙に焼き付ける。これも焼き付け時間を守る。
焼き付けた印画紙を粉末から作った現像液に浸す。少しゆらゆらさせる。
現像出来たらこれも粉末から作った定着液に浸しゆらゆらさせる。
そして洗濯ばさみで挟んで暗室内で1日乾燥させる。
画像解析:解析の部分を黒いポスターカラーペンで丁寧に塗る。この部分を画像解析にかけていく。
アッセンブラプログラムで塗ったところの「粒子の大きさ」「粒子の分布状況」などをカメラ撮影しながらPCに取り込んで解析する。分布状況を数値化する。
写真の現像はかなりの段階を踏んで完成するのであった。
フィードバック制御 [大学]
大学の科目で「制御理論」というのがあった。
授業を受けたが、あまりわからなかった。
しかし、実験で装置で説明を受けて電撃的に理解したのである。
制御システム
実験:サーボモーターの回転数を制御する
準備:サーボモーターの回転軸にタコジェネレーター(いわゆる発電機)を取り付けてジェネレーターの出力をモーターに返す仕組み「フィードバック制御」を行う。
実験:モーターに電流を流すと回転軸が回転する。直結したジェネレーターから電圧が発生する。軸に負荷をかける。
「電流が流れたので回転します」:モーター
「あなたの回転はこのようになっています」:ジェネレーター
「そうならばもう少し回転を控えめにします。」モーター
「控えめになりましたが、もう少し頑張ってみたらどうですか」:ジェネレータ
「はいもう少し頑張ります」:モーター
結論:サーボモーターとタコジェネレーターとのやり取り「コミュニケーション」によって、負荷変動に対して安定した回転出力が得られるのが「フィードバック制御」である。
応用:レコードプレーヤーでDD(ダイレクトドライブ)のものがあるとしよう。
レコードを載せる。レコード針でレコードをトレースする。溝は一定に刻まれているのではなく、がりがりだったりなめらかだったりする。そのままだとがりがりのところでターンテーブルに負荷がかかり回転が落ちてしまう(若干ではあるが)。そこでクオーツでフィードバク制御する。
ターンテーブルの外周に「ピット」目印を鋳造するときつけておく。その「ピット」にあてた反射光とクオーツ振動数が同調するように「フィードバック制御」をかける。
レコードプレーヤの回転ムラ性能が向上するのである。
授業を受けたが、あまりわからなかった。
しかし、実験で装置で説明を受けて電撃的に理解したのである。
制御システム
実験:サーボモーターの回転数を制御する
準備:サーボモーターの回転軸にタコジェネレーター(いわゆる発電機)を取り付けてジェネレーターの出力をモーターに返す仕組み「フィードバック制御」を行う。
実験:モーターに電流を流すと回転軸が回転する。直結したジェネレーターから電圧が発生する。軸に負荷をかける。
「電流が流れたので回転します」:モーター
「あなたの回転はこのようになっています」:ジェネレーター
「そうならばもう少し回転を控えめにします。」モーター
「控えめになりましたが、もう少し頑張ってみたらどうですか」:ジェネレータ
「はいもう少し頑張ります」:モーター
結論:サーボモーターとタコジェネレーターとのやり取り「コミュニケーション」によって、負荷変動に対して安定した回転出力が得られるのが「フィードバック制御」である。
応用:レコードプレーヤーでDD(ダイレクトドライブ)のものがあるとしよう。
レコードを載せる。レコード針でレコードをトレースする。溝は一定に刻まれているのではなく、がりがりだったりなめらかだったりする。そのままだとがりがりのところでターンテーブルに負荷がかかり回転が落ちてしまう(若干ではあるが)。そこでクオーツでフィードバク制御する。
ターンテーブルの外周に「ピット」目印を鋳造するときつけておく。その「ピット」にあてた反射光とクオーツ振動数が同調するように「フィードバック制御」をかける。
レコードプレーヤの回転ムラ性能が向上するのである。
ウルトラ進学計画(グラフィックデザイン科編) [大学]
私立大学の受験のために上京した。
東京都両国のホテルに宿泊することになった。
ただし現在覚えているのは美大の受験のことだけである。
受験科は「グラフィックデザイン科」である。
美術大学を受験するには学科試験と実技試験の2日にわたる日程がある。
実技試験のために絵の具をもっていかなければならない。
重い画材道具は高校の時に美術授業で使っていたものである。
「多摩美術大学」から受験した。
1日目:学科試験
英語・国語・理科あたりから出題される。
ここで1日目が終わり選考基準に達していれば大学の掲示板に張り出される。
合格
2日目:実技試験
ほぼ1日がかりで「デッサン」と「デザイン」の実技試験が行われる。
AMデッサン:石像の頭部を6Bの鉛筆で描いていく。
描いた
PMデザイン:「この点から離れたこの点につながるデザインを描きなさい」とだけ問題用紙に書いてある。
描いた
合否を待つことになるのだが日程の関係で掲示板の番号を見に行くことができないので、人に頼んで知らせてもらう手続きをとった。
ほかの大学を受けている間に結果が分かったが「不合格」であった。
「武蔵野美術大学」を受験した。
学科試験・実技試験があるのは多摩美術大学と同じであるのだが...少しだけ気力を失っていた。
AMデッサン:くじを引いて椅子の位置を決めるのだが石像の目の前の低い位置になってしまった。
お尻が痛くて集中して描けなかった。
PMデザイン:「竹をイメージしてデザインしなさい」とだけ書いてある。
色が濁ってしまった。
同じく人に頼んで掲示板を見てもらうことにした。
「不合格」であった。
後から分かったことであるのだが私立の美大でも競争率は80倍程度。受験生は小さいころから絵の勉強をしている人ばかりである。
美大生にはなれなかったのである。
東京都両国のホテルに宿泊することになった。
ただし現在覚えているのは美大の受験のことだけである。
受験科は「グラフィックデザイン科」である。
美術大学を受験するには学科試験と実技試験の2日にわたる日程がある。
実技試験のために絵の具をもっていかなければならない。
重い画材道具は高校の時に美術授業で使っていたものである。
「多摩美術大学」から受験した。
1日目:学科試験
英語・国語・理科あたりから出題される。
ここで1日目が終わり選考基準に達していれば大学の掲示板に張り出される。
合格
2日目:実技試験
ほぼ1日がかりで「デッサン」と「デザイン」の実技試験が行われる。
AMデッサン:石像の頭部を6Bの鉛筆で描いていく。
描いた
PMデザイン:「この点から離れたこの点につながるデザインを描きなさい」とだけ問題用紙に書いてある。
描いた
合否を待つことになるのだが日程の関係で掲示板の番号を見に行くことができないので、人に頼んで知らせてもらう手続きをとった。
ほかの大学を受けている間に結果が分かったが「不合格」であった。
「武蔵野美術大学」を受験した。
学科試験・実技試験があるのは多摩美術大学と同じであるのだが...少しだけ気力を失っていた。
AMデッサン:くじを引いて椅子の位置を決めるのだが石像の目の前の低い位置になってしまった。
お尻が痛くて集中して描けなかった。
PMデザイン:「竹をイメージしてデザインしなさい」とだけ書いてある。
色が濁ってしまった。
同じく人に頼んで掲示板を見てもらうことにした。
「不合格」であった。
後から分かったことであるのだが私立の美大でも競争率は80倍程度。受験生は小さいころから絵の勉強をしている人ばかりである。
美大生にはなれなかったのである。
ウルトラ進学計画(どうしても美大編) [大学]
大学受験も大詰めに入っていた。
私の進路は東京に出たいということには変わらなかったが、かなり迷っていた。
当時80年代、若者文化である平凡出版「ポパイ」流行音楽YMO「テクノポップ」SONY「ウオークマン」なるものが出現していた。ビジュアル的また音楽的に新しい流れが始まっていた。
理数系的でもあり文化人文的でもあり美的でもあり、私の中では受験自体よりも「カルチャー」のことばかりを考えていた。
そして
「志望校にどうしても美大を入れることにしよう」と決心した。
まず学校の先生を説得しなければ実現しない。
担任のY先生によく相談したところ、自分の実力を美術担当のS先生に観てもらい、それからということになった。そして「デッサン」を書いてS先生に観てもらうことになった。
数週間後、自分の家にあるペン立てを描いて学校へもっていった。
S先生
「................」はじめ何も言わなかった。
「まあ受けてみるだけ受けてみなさい」
最初の難関がクリアできた。
武蔵野美術大学と多摩美術大学を受験校に加えることにした。
もちろん理工系大学も含めての話である。
それから数学の参考書と画材道具を持って変則的な受験をするために東京へ行くことになったのである。
私の進路は東京に出たいということには変わらなかったが、かなり迷っていた。
当時80年代、若者文化である平凡出版「ポパイ」流行音楽YMO「テクノポップ」SONY「ウオークマン」なるものが出現していた。ビジュアル的また音楽的に新しい流れが始まっていた。
理数系的でもあり文化人文的でもあり美的でもあり、私の中では受験自体よりも「カルチャー」のことばかりを考えていた。
そして
「志望校にどうしても美大を入れることにしよう」と決心した。
まず学校の先生を説得しなければ実現しない。
担任のY先生によく相談したところ、自分の実力を美術担当のS先生に観てもらい、それからということになった。そして「デッサン」を書いてS先生に観てもらうことになった。
数週間後、自分の家にあるペン立てを描いて学校へもっていった。
S先生
「................」はじめ何も言わなかった。
「まあ受けてみるだけ受けてみなさい」
最初の難関がクリアできた。
武蔵野美術大学と多摩美術大学を受験校に加えることにした。
もちろん理工系大学も含めての話である。
それから数学の参考書と画材道具を持って変則的な受験をするために東京へ行くことになったのである。
ウルトラ進学計画(私の希望編) [大学]
高校3年生。受験に追われる学年である。
共通一次試験が行われることになった。
2日間にわたるテストである。
1日目:それなりにできた
2日目:試験中にトイレに行きたくなった
大きな会場で「トイレに行かせてください」がどうしても恥ずかしく言えなかった
数学の問題がほとんど手につかなかった
後日
自己採点
まあ採点するまでもなくかなりの低得点であった。
数日後2次試験に向けた準備開始
書店で赤本を検索すること数冊...。
「1次試験750点平均...これは無理だな~」
「600点......これも無理だな~」と思っていたところ*
「1次試験400点?...これだな」
志望校を伝える日が来た。職員室へ。
担任のY先生に志望校を伝える。
「私の希望は東京芸大に行きたいです」
Y先生すかさず「何考えとんのかね君は!」であった。
後でわかったことなだが、芸大の入試倍率は毎年100倍近くであるのであった。
実技試験も相当小さいころから特別に訓練していないと...。
Y先生の「何考えとんのか!」は当然であったのである。
それから
私の志望校は理数系の私立大学に急速に方向転換するのであった。
共通一次試験が行われることになった。
2日間にわたるテストである。
1日目:それなりにできた
2日目:試験中にトイレに行きたくなった
大きな会場で「トイレに行かせてください」がどうしても恥ずかしく言えなかった
数学の問題がほとんど手につかなかった
後日
自己採点
まあ採点するまでもなくかなりの低得点であった。
数日後2次試験に向けた準備開始
書店で赤本を検索すること数冊...。
「1次試験750点平均...これは無理だな~」
「600点......これも無理だな~」と思っていたところ*
「1次試験400点?...これだな」
志望校を伝える日が来た。職員室へ。
担任のY先生に志望校を伝える。
「私の希望は東京芸大に行きたいです」
Y先生すかさず「何考えとんのかね君は!」であった。
後でわかったことなだが、芸大の入試倍率は毎年100倍近くであるのであった。
実技試験も相当小さいころから特別に訓練していないと...。
Y先生の「何考えとんのか!」は当然であったのである。
それから
私の志望校は理数系の私立大学に急速に方向転換するのであった。
現役合格「バンカラ」 [大学]
高校生活の大詰めで私は進路についてかなり迷っていた。
高校の勉強成績はさっぱり。特に受験科目がさっぱり。
受験対象科目以外の成績は抜群に良かった。これは自分の適性に高校生活が本当にあっていたのか?
しかしそれは神様が決めることである自分の関与するところではないようだ。
---------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
いよいよ進路指導なるものが始まり先生も一生懸命。学生も一生懸命。自分は混乱気味であったのだ。
本屋に行って「赤本」なる大学の案内本を眺めていた。しかし大学が多すぎてさっぱりわからん。
理系のコースでずっと高校生活を送ってきたが、私の希望は美術系。かなりの矛盾とギャップがある。しかも地元脱出計画まで狙っていた。
「ミッションインポッシブル」である。
親父に相談することにした。
「大学を県外に出るのはいいが、お金がかかるので一つ条件がある」「現役合格」
--------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
ここから自分のミッションが始動した。
まず「赤本」を東大・京大・阪大などなどは見ないことにして(当たり前だが)中堅校なるものと、美術大学に絞ってみていった。
関西にはいきたくなかったので東京所在の大学とした。
明治・中央・法政・日大・国士館・武蔵野美術・多摩美術などの私立大学と共通一次試験を受けている関係で岡大合わせて11校を受けた。
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まず受験宿の確保だが、両国に安いホテルがあったので10連泊の予約を取った。
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朝モーニングコールを受ける。朝食を食べる。JR線と徒歩を駆使して受験会場へ。
受験したらまた両国へ。
---------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
若かったから「ミッション」はこなせた。「現役合格」
そして何より、入学してからの一番のピカピカは「バンカラ」という贈り物であった。
高校の勉強成績はさっぱり。特に受験科目がさっぱり。
受験対象科目以外の成績は抜群に良かった。これは自分の適性に高校生活が本当にあっていたのか?
しかしそれは神様が決めることである自分の関与するところではないようだ。
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いよいよ進路指導なるものが始まり先生も一生懸命。学生も一生懸命。自分は混乱気味であったのだ。
本屋に行って「赤本」なる大学の案内本を眺めていた。しかし大学が多すぎてさっぱりわからん。
理系のコースでずっと高校生活を送ってきたが、私の希望は美術系。かなりの矛盾とギャップがある。しかも地元脱出計画まで狙っていた。
「ミッションインポッシブル」である。
親父に相談することにした。
「大学を県外に出るのはいいが、お金がかかるので一つ条件がある」「現役合格」
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ここから自分のミッションが始動した。
まず「赤本」を東大・京大・阪大などなどは見ないことにして(当たり前だが)中堅校なるものと、美術大学に絞ってみていった。
関西にはいきたくなかったので東京所在の大学とした。
明治・中央・法政・日大・国士館・武蔵野美術・多摩美術などの私立大学と共通一次試験を受けている関係で岡大合わせて11校を受けた。
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まず受験宿の確保だが、両国に安いホテルがあったので10連泊の予約を取った。
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朝モーニングコールを受ける。朝食を食べる。JR線と徒歩を駆使して受験会場へ。
受験したらまた両国へ。
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若かったから「ミッション」はこなせた。「現役合格」
そして何より、入学してからの一番のピカピカは「バンカラ」という贈り物であった。