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焼夷弾発見 [傷跡]

昔々。ちょっと昔。

小学校3年生か4年生の時(昭和38年生まれ)に、実家の隣の田んぼに突き刺さった得体のしれないものを発見した。

最初は何であるかは全くわからなかった。何か不気味な感じがしたのをおぼえている。


父に報告に行った。父が確認しに行った。

「もう絶対に近づいてはだめだぞ!」

強く言われた。

岡山空襲(おかやまくうしゅう)は、第二次世界大戦中の1945年(昭和20年)6月29日の午前2時43分から午前4時7分にかけてアメリカ軍により行われた岡山県の岡山市に対する空襲のことである。計画段階では戦略爆撃だったが、ほとんど無差別爆撃として実行された。この空襲ではアメリカ軍の爆撃機・ボーイングB-29およそ140機が用いられ、空襲警報が出されず全くの不意打ちであったため死者が1737人にも及んだ。
(quotation from Wikipedia)


それは焼夷弾であった。

ちょうど田植えの時期である。田んぼには水が張っていただろう。

それが緩衝になって焼夷弾は爆奪せずに田んぼに突き刺さった。

実家との距離はほんの5~6mである。

20数年の時が過ぎ突き刺さった焼夷弾は後部の羽を田んぼの外へさらけ出していた。 

その後爆発物処理班が処理にあたり、「しんかん(起爆装置)」を取り外し撤去されたらしいが私はその様子を見ることはなかった。

「妥協」のできない事件である。

戦争の爪痕が生々しく残っていたのである。

私が切に望むのは恒久的な平和社会である。

もし仮に20年後の世界である子供が同じように爆弾の発見をするなどということは決してあってはならないことである。

ことさらであるが「妥協」などという選択肢はそこにはないはずである。

それは「命」にかかわることであるから。


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Twitterまとめ投稿 2019/06/24


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