SSブログ

ゲーミングマウス [デバイス]



ゲーミングマウス

通常のマウスよりもタフにできているマウスである。

特徴:ケーブルは化学繊維の織物でシールドされており、強靭で切れにくい。
   マウスホイールには滑り止めもついている。
   クリック感がよく数千万回のクリックテストにも壊れない構造になっている。
   本体はがっしりしたつくりで人間工学に基づき長時間の作業にも疲れない構造。
   その他、多数のボタン学習機能も搭載している。

欠点:マウスとして欠点は見当たらないが少し大きめなので持ち運ぶにしてはかさばるかもしれな   いぐらいである。

新しく家で使うパソコンのマウスをお考えならば、ぜひおすすめの1台である。

chyake

詳しくは写真にカーソルを合わせダブルクリックしてみてください。[黒ハート]



  
nice!(0)  コメント(0) 

Twitterまとめ投稿 2019/06/29


nice!(0)  コメント(0) 

ポータブルHDD [デバイス]




1TポータブルUSB電源超級HDD
Win・Mac・Linax対応
利点:電源がUSBケーブルから供給されるので、電源を引き回す必要がありません。
   USB3.0に対応しておりデータの転送速度が速いです。
   データ転送中はパイロットランプが点滅し動作の確認ができます。
   価格的にひと昔と比べてかなり安価になっています。
   USBケーブルは付属しています。
問題:今まで、4~5か月使用していますが問題点は表れていません。安心して使用できます。

詳しくは、写真をクリックして詳細を確認してみてください。

chyake



nice!(1)  コメント(0) 

畳と座布団スタイル [猫のび]

パソコンをするときのスタイルを考えてみる。

かつてノートパソコンを購入し、操作するときには机について捜査していた。

いうなれば、勉強机スタイルである。ちょうどWindous3.1~Windows95が出たばかりのころである。

パソコンをもっと効率的にこなせないかと考えた。

「パソコンラックはどうだろう?」

早速購入してラックを組み立て、椅子はOAチェアーにしてみた。

ノートパソコンをまず設置してみて捜査してみた。

いうなれば、仕事机スタイルである。ちょうどWindous98~Windous2000のあたりまでとWindous7,Windous10までこれで操作していた。

しかし、しかしである。

年齢(今年56歳)とともにどうもしっくりこないことがわかってきだした。

「腰」にくるのである。

「畳に座布団はどうだろう?昭和初期みたいだなあ」

椅子というのは本来文化として外来的なものである。

幼いころ我が家には踏み台しかなかった。

「おおこれは安定して落ち着くぞ」と発見してからもう1か月近くなる。腰も痛くならない。

しかし、私の体は昭和38年製である。体型は時代とともに変化する。

現代人の体系はどうなっているのかわからないが、すべてにおいて畳と座布団で解決できるものではないだろうと思う。

とりあえず私は控えめに座布団に座って畳に資料を広げ、扇風機でパソコンと体を「空冷」しながらボツボツとキーボードをたたいている次第なのである。


「ああ、ほっとする」なのである。[黒ハート]










nice!(0)  コメント(0) 

Twitterまとめ投稿 2019/06/28


nice!(0)  コメント(0) 

私の英語「ドッキング」 [猫のび]

昔々。ちょっと昔。

私がまだ幼稚園に上がる前のころ。

家には1台のポータブルラジオがありました。

「スイッチオン」「スイッチオフ」私のおぼえた英語である。

また「ドッキング」。

アポロ11号月面着陸成功

アポロ11号は2人の人間を世界で最初に月に着陸させた宇宙飛行であった。ニール・アームストロング船長とバズ・オルドリン月着陸船操縦士の2名のアメリカ人が1969年7月20日20時17分(UTC=協定世界時)にアポロ月着陸船「イーグル」号を月に着陸させた。アームストロングは7月21日の2時56分15秒 (UTC) に月面に降り立った最初の人物となり、その19分後にオルドリンがアームストロングに続いた。二人は約2時間15分を共に船外で過ごし、47.5ポンド (21.5 kg)の月物質を地球に持ち帰るために採取した。二人が月面にいる間、マイケル・コリンズ司令船操縦士は独り月周回軌道上で司令船「コロンビア」号を飛行させた。アームストロングとオルドリンは21時間半を月面で過ごした後、月周回軌道上で再び「コロンビア」に合流した。
アポロ11号は7月16日13時32分 (UTC) にフロリダ州メリット島にあるケネディ宇宙センターからサターンV型ロケットで打ち上げられ、NASAのアポロ計画の5番目の有人ミッションとなった。アポロ宇宙船は次の3つの部分(モジュール)から構成される。3人の宇宙飛行士が乗り込める船室を備え、唯一地球に帰還する部分である司令船 (CM) と、推進力、電力、酸素、水を供給して司令船を支援する機械船 (SM) 、そして月に着陸するための下降段と、月を離陸して再び月周回軌道まで宇宙飛行士を送り届けるための上昇段の二段式になっている月着陸船 (LM) である。
アポロ宇宙船の技術的詳細については「アポロ宇宙船」を参照
アポロ11号はサターンVの第三段の推力で月に向かう軌道に乗り、宇宙船をサターンVから切り離した後、およそ3日間かけて旅し、月軌道に入った。アームストロングとオルドリンは月着陸船「イーグル」に移乗し、静かの海に軟着陸した。二人は「イーグル」の上昇段を使用して月面を離陸し、司令船「コロンビア」で待つコリンズと再び合流した。「イーグル」を投棄した後、宇宙飛行士たちは司令船を地球へ帰還する軌道に乗せる操作を行い、エンジンを噴射して月軌道を離脱した。三人は8日間以上の宇宙飛行を終えて、7月24日に地球に帰還し、太平洋に着水 (splashdown) した。
アームストロングが月面に最初の一歩を踏み下ろす場面はテレビジョン放送を通じて全世界に向けて生中継された。アームストロングはこの出来事について「これは一人の人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては偉大な飛躍である」と述べた[9]。アポロ11号は実質的に宇宙開発競争を終わらせ、1961年に故ジョン・F・ケネディ大統領が掲げた「この六〇年代が終わるまでに人間を月に着陸させ、安全に地球に帰還させる」という国家目標を見事に達成した。
(quotation from Wikipedia)

オデッセイと月面着陸機が「ドッキング」するので覚えてしまいました。

家には月面着陸機のプラモデルがあり、期待に胸を膨らましていました。

あとウルトラセブンの「ウルトラフォーク1号」が、アルファー号とべーター号とガンマ号が離れていくのはどういうかわかりませんでしたが、やたら霧山隊長が

「ウルトラフォーク1号ドッキング!」と言っていたので覚えてしまいました。

ほどなく「スーパーカー」「スティングレー」「サンダーバード」「キャプテンスカーレット」などなど「ITC」の作品が放送されたのをきっかけにサンダーバードのオープニングで

「54321!」とテレビを見ながらダウンしていました。数字の1から5までは覚えてしまいました。

「サンダーバード5号」と「3号」はいわゆるドッキングするので、

やたら「ドッキング!!」と叫んでいました。これまた感覚的に「ドッキング」であります。

少し年代がたってNHK教育テレビで「セサミストリート」が始まりました。

「123456789~10」というフレーズが好きですぐ英語で10まで数えられるようになりました。

セサミストリート
日本では日本賞受賞を契機に、賞を設けたNHKが教育テレビで英語教育番組として英語オリジナル版(以下、オリジナル版)を放送した。
レギュラー放送開始前、1971年7月21日から8月31日までの午前9時 - 10時・午後1時 - 2時(再放送)に、夏休みスペシャルとして初放送。同年12月25日から12月31日まで冬休みスペシャルとして、1972年1月1日から1月7日までお正月休みとして放送し、1972年4月9日からオリジナル版でレギュラー放送が開始された。
途中、1982年4月から1986年12月まで約5年間中断し、1987年1月4日から1988年3月27日まではBS2で放送を行った。また、1991年度より視覚障害者向けに副音声による解説放送が実施されるようになった。
英語のセリフを理解できるように長らく、セリフを翻訳したテキストがNHK出版から発行されていたが、1998年より二ヶ国語放送となり、ビッグバードなどの登場キャラクターの声が日本語でも聞けるようになった(声は後のテレビ東京版とは異なる)。テキストについては二ヶ国語放送化に合わせて休刊されている。
制作プロダクションであるセサミワークショップが幼児向け教育番組としての日本版の共同制作を要望したことに対し、NHK側は英語教育番組としてのオリジナル版の放送を継続したいということで折り合いがつかなくなり、2004年4月3日をもってNHKでの放送を終了した。
(quotation from Wikipedia)


中学校に入り英語の授業が始まりましたがさっぱりでした。テストをすれば、いつも赤点でした。

何故か授業の英語は頭に入っていきませんでした。

高校に入ると、また文法がやたらとむつかしくなりこれまた授業にはついていけませんでした。

そこで、親の勧めで塾に通うことになりました。

塾の先生は大変スパルタで竹刀をフリフリ教えてくれる熱心な先生でした。

ここで幼いころの「ドッキング」を思い出したのです。

体感的にまた感覚的に英語をおぼえていくと塾の理解度が「ドッキング」的に頭に入るようになったのです。

英語の成績だけはみるみるよくなりました。

今現在。いやこれから明日にかけても英語の勉強のために文法書や和英辞典、英和辞典、SNSでの実践的な英語を通じて英語の勉強を続けていくつもりでいます。


私の英語の勉強法は常に「ドッキング」のような体感的なものであるのである。[9]



流行通信:
POPS
はやっているものは?
(下線部分をクリック)







nice!(1)  コメント(0) 

Twitterまとめ投稿 2019/06/25


nice!(0)  コメント(0) 

焼夷弾発見 [傷跡]

昔々。ちょっと昔。

小学校3年生か4年生の時(昭和38年生まれ)に、実家の隣の田んぼに突き刺さった得体のしれないものを発見した。

最初は何であるかは全くわからなかった。何か不気味な感じがしたのをおぼえている。


父に報告に行った。父が確認しに行った。

「もう絶対に近づいてはだめだぞ!」

強く言われた。

岡山空襲(おかやまくうしゅう)は、第二次世界大戦中の1945年(昭和20年)6月29日の午前2時43分から午前4時7分にかけてアメリカ軍により行われた岡山県の岡山市に対する空襲のことである。計画段階では戦略爆撃だったが、ほとんど無差別爆撃として実行された。この空襲ではアメリカ軍の爆撃機・ボーイングB-29およそ140機が用いられ、空襲警報が出されず全くの不意打ちであったため死者が1737人にも及んだ。
(quotation from Wikipedia)


それは焼夷弾であった。

ちょうど田植えの時期である。田んぼには水が張っていただろう。

それが緩衝になって焼夷弾は爆奪せずに田んぼに突き刺さった。

実家との距離はほんの5~6mである。

20数年の時が過ぎ突き刺さった焼夷弾は後部の羽を田んぼの外へさらけ出していた。 

その後爆発物処理班が処理にあたり、「しんかん(起爆装置)」を取り外し撤去されたらしいが私はその様子を見ることはなかった。

「妥協」のできない事件である。

戦争の爪痕が生々しく残っていたのである。

私が切に望むのは恒久的な平和社会である。

もし仮に20年後の世界である子供が同じように爆弾の発見をするなどということは決してあってはならないことである。

ことさらであるが「妥協」などという選択肢はそこにはないはずである。

それは「命」にかかわることであるから。


nice!(0)  コメント(0) 

Twitterまとめ投稿 2019/06/24


nice!(0)  コメント(0) 

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。