SSブログ

ジェネレーションギャップ [猫のび]

わかんない。わかんない。

今はやっているもの。わかんない。

地球規模で起こっている異常気象。わかんない。

技術的にどれほど今がハイテクなのか。わかんない。

もしかして、もしかして自分が相当おじさんになってしまったようだ。[いい気分(温泉)]

---------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------

よくわかるのが、自分がまだ相当若かったころ親の世代が若かった時の文化なんて想像つかないことである。

それと同様に、親が若かったころ自分から言うおじいちゃんおばあちゃんの若かったころの文化なんてわからなかっただえあろう。

産業革命(さんぎょうかくめい、英: Industrial Revolution)は、18世紀半ばから19世紀にかけて起こった一連の産業の変革と、それに伴う社会構造の変革のことである。
産業革命において特に重要な変革とみなされるものには、綿織物の生産過程における様々な技術革新、製鉄業の成長、そしてなによりも蒸気機関の開発による動力源の刷新が挙げられる。これによって工場制機械工業が成立し、また蒸気機関の交通機関への応用によって蒸気船や鉄道が発明されたことにより交通革命が起こったことも重要である。
経済史において、それまで安定していた一人あたりのGDP(国内総生産)が産業革命以降増加を始めたことから、経済成長は資本主義経済の中で始まったとも言え、産業革命は市民革命とともに近代の幕開けを告げる出来事であったとされる。また産業革命を「工業化」という見方をする事もあり、それを踏まえて工業革命とも訳される。ただしイギリスの事例については、従来の社会的変化に加え、最初の工業化であることと世界史的な意義がある点を踏まえ、一般に産業革命という用語が用いられている。
(quotation from Wikipedia)

が起こったのはちょうどおじいちゃん、おばあちゃんが若かったころ。

「モボ(モダンボーイ)・モガ(モダンガール)」なるものがはやったらしいと聞いている。

また、

工業化 一般的に定義すると、工業化は「農耕社会から産業社会、即ち農業を主体とする社会から工業主体の社会への転換」を意味するが、厳密な定義は困難である。しかし、概ね、人力や畜力を離れ蒸気力や電力といった非生物的な動力の採用と産業の機械化を決定的な契機として、社会全体の変化が引き起こされるという点で一致している。ただし工業化は必ずしも蒸気動力の導入以後に限定されない。
W.W.ロストウは工業化の決定的段階をもたらす条件として、1.生産的投資率の10%以上への上昇.2.製造業部門の高成長、3.経済成長を可能にする政治的、社会的、制度的枠組みの整備、の実現を挙げており、これらの条件を満たすことにより、工業化への離陸(テイク・オフ)が可能になるとされる。この工業化のプロセスの初期段階を一過性で個別的な歴史的事件と捉えた見方が「産業革命」である。
また工業化は近代化と極めて近い概念だが、近代化が民主主義などの政治的要素を含む概念なのに対し、工業化は技術的・経済的変化に重点を置いた見方である。その為、後発の発展途上国などでは工業化は進みながらも近代化が遅れている、という状況も生まれうる。なお、工業化も近代化も社会的な変化を含む、という点では共通している。
工業化を経験した社会では、農業などの第一次産業から工業などの第二次産業へと労働人口が移動する。労働人口の移動により、やがて農業部門の余剰労働力は底を突く(ルイスの転換点)。農業においても機械化は進行し、自給自足的なそれから市場的交換経済を前提としたものへと変化していく。それに伴い親族集団の解体と農村共同体の崩壊が進み、核家族化、大衆社会化などが進んでいく。また蒸気力の導入により、工場は川の傍という制約を離れ、労働力を確保しやすい都市近郊へと移り、都市化傾向に拍車を掛けることになる。

(quotation from Wikipedia)

ちょうど、お父さん、お母さん世代(私の歳を基準として)の話である。

とにかく働いて働いての時代である。あまり文化的には知られていない。

そして、IT革命そうした技術は戦後社会でスピンアウトした。計算機の開発と利用は典型である。1947年、AT&Tベル研究所のウォルター・ブラッテン、ジョン・バーディーン、ウィリアム・ショックレーらがトランジスタを発明。翌年に国際決済銀行の廃止が棚上げされたが、おそらくここで国際決済を中央銀行間でオンライン処理する技術が研究され始めた。そしてIBM社が1952年に初の商用のプログラム内蔵式コンピュータ IBM 701 を、1956年にやはり初のハードディスクドライブを発売している。同社は後にセデルという国際証券集中保管機関を積極的に技術支援する。
日本でも並行して技術開発が進む。1957年、日本電信電話公社の電気通信研究所で MUSASINO-1 が開発される。1959年、日本国有鉄道が日本初のオンラインシステムであるマルス1を導入する。
1964年、インテルサットが設立される。人工衛星を利用した国際通信の時代が到来。同年、コントロール・データ・コーポレーションが CDC 6600 を製造開始。これは世界で初のスーパーコンピュータとも言われる。そしてユーロクリアが設立された1968年は、ダグラス・エンゲルバートがマウスやウィンドウなどをデモンストレーション、さらにIBM 製オペレーティングシステム (OS) によるタグ検索システムFRESSが開発された。セデルの設立された1970年は、インテルが世界初の DRAMである Intel 1103 を発売した。セデルの決済業務は当初こそファクシミリを使用していたが、おそらく設立後数年で、IBM社の技術支援を受けてコンピュータを利用するようになった。
1973年、国際銀行間通信協会と全国銀行データ通信システムが稼動した。1976年、NECが TK-80 を発売。初期のマイコンとしてコンピュータを小型化する研究の起爆剤となった。1978年にはアメリカのシカゴで最初の電子掲示板「CBBS」が開設された。翌年、オラクル社が商用初の関係データベース製品である Oracle 2 をリリース。コンピュータネットワークにセキュリティシステムが実装された。
セデルでジェラール・ソワソンが変死した1983年、日本で家庭用ゲーム機のファミリーコンピュータ(任天堂)が発売された。パーソナルコンピュータ(パソコン)およびオペレーティングシステムについては、1984年に Macintosh (アップルコンピュータ)、翌年に Windows 1.0 (マイクロソフト)が売りだされた。また、1986年にインターネット技術の標準化を策定する Internet Engineering Task Force (IETF) が設立された。1973年から構想されていたダイナブックは1989年にダイナブック(東芝)で具体化される。こうして情報環境の開発が多角的に進んでゆく中、1990年代に産業はサービス化を加速させた。そして世紀をまたぐブラウザ戦争が起きた。
21世紀に入り、一定額を支払えば接続し放題となる定額制のブロードバンド回線やデータ通信端末、公衆無線LAN、携帯電話などの普及によって、常時インターネットに接触できる環境が整ってきており、情報技術が産業だけでなく個人にも広く浸透することとなった。この成熟した情報社会では、単にマルウェアを避けるというだけではなく、取得できる情報の性質が媒体により異なることを理解し、媒体を使い分けるための情報リテラシーが市民レベルで求められている。
(quotation from Wikipedia)

私の世代。今の世代である。


文化的には「ファッション」「音楽」「ゲーム」「スポーツ」「パソコン」などなど花開いている時代が来た。

が、その陰りが見え始めている。成功は収めたはずなのであるが。[右斜め下]

なぜなんだろう。[TV]

問題の本質は何なんだろう。[カチンコ] 



nice!(0)  コメント(0) 

Twitterまとめ投稿 2019/06/06


nice!(0)  コメント(0) 

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。