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私の好奇心(テープレコーダー思いやり編) [幼少時代]

たしか小学校3年生のころである。

父が弁当箱型のカセットテープレコーダーを買ってきた。
我が家にしては珍しい家電製品である。

「カセットテープレコーダーは弁当箱型が1番である」と言っていた。

取扱説明書をわからないながら読み、15分カセットテープ(付属品)を入れて適当に遊んでいた。

ふとしたことに気付いた。

「再生」終了後かすかに「キュルキュル」と音がして再生ボタンが「パチン」と元に戻る。

「すごい自動であるな」と直感的に思った。

赤い録音ボタンと再生ボタンを押して録音開始。

「録音」が終了後同様に2つのボタンが「パチン」と元に戻る。

「自動であるな」つくづく感銘していた。


しかし期待が少し「...」に変わった。
好奇心がわいた。


「なぜか「早送り」と「巻き戻し」ボタンではあの「キュルキュル・パチン」がないなあ...?」

「うーん、テープの動力がうまく...してないのではないか?」(この「...」は小学生の発想なのでうまく言葉にできませんが)

「そうならふた剥ぐって、家にある油さしてあげよう」(この「油」とは自転車用で、この発想は思いやりからくるものであった)

ドライバーでやさしく裏蓋を開け、中を覗いてみた。

「すごいメカだな」感心していた。

「早送りボタンがこの辺なら...あたりに油かな~」(この「...」は小学生の大胆な発想である)

ふたをもとに戻して期待通りになることを思いつつ「早送りボタン」を押すと。

「.....」「?」「.........」「??」

つまり故障してしまったのである。

そのあと父は何も言わずに家電営業所へもっていって修理をかけてくれた。


後でわかったことなのだが「早送り」と「巻き戻し」に関してはボタンがテープが終わっても元には戻らないことが取扱説明書にはやさしく書いていたのである。

[カチンコ]








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私の好奇心(化学変化編) [幼少時代]

まだ2歳か3歳のころだったと思う。
私の家に10㎝×10㎝×10㎝の透明アクリル容器がたまたまあった。
私の好奇心がある行動を起こした。

「この中に、家にあるものをたくさん放り込んで放置したら何かができる。」と発想したのである。

マヨネーズ・化粧水・醤油・七味・水…
とにかく入れてふたをした。ベランダの隅に置いた。

観察開始。

1日経過:変化なし
3日経過:変化なし
7日経過:やや量が減ってはいるがおおむね変化なし

しかし

10日経過:消えた...

なんと消えたのである。

つまり容器ごと処分されてしまったのである。
化学変化はその先どうなったかは、私の好奇心の中にだけ存在するのであった。

[足]
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国際救助隊 [幼少時代]

そうだ!サンダーバードを呼ぼう![手(パー)]
Thunderbirds Are Go!![飛行機]



[カチンコ]


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床屋泣かせの私 [幼少時代]

昔々。ちょっと昔。

初めて床屋に行くことになった。

もう戦闘状態、泣きわめきの状態、パニック状態の私になっていた。

実は、幼稚園に通う頃私は白血病と診断され3か月入院退院。3か月入院退院を経験し絶対安静の日々を送っていたのだ。

「白衣」=「恐怖」の方程式が私のトラウマになってしまっていた。

散髪は今まで、はさみのようなバリカンのようなものでおばあちゃんに切ってもらっていたのだが。

何事も訓練ということで床屋へ行かねばならなくなってしまった。

応戦むなしく親に連れられて床屋についてしまった。

石鹸のにおいのような、また整髪剤のようなにおいが床屋のなかで漂っていた。

店員さんは初老の夫婦であった。

大きな何ともメカニカルな椅子が子供の体には大きすぎて補助いすが用意されていた。

もうこの時点で自分は震えあがってしまっていた。恐怖症トラウマ全開である。

「どう切りますか?」店主は親に尋ねた。

「短めに」と親は告げた。

エリマキトカゲになって補助いすに座った私はこの時点で割と覚悟ができていたのだが。

黙って店主は大きな手でまず霧吹きをし、おもむろにはさみで頭を切り始めた。

何とかこらえていたが、恐怖のあまり私は泣き出してしまった。またイヤイヤ(暴れるに近い)をしだしたのである。

店主は困った。

戦略を考えたらしい。床屋の隣は八百屋というかお菓子屋であった。

奥さんお菓子屋に森永のミルクキャラメルを二つ買いに行った。

床屋に戻って、半ばイヤイヤ怪獣となっていた私に森永キャラメルが猫に木天蓼か与えられた。

ピタッと泣き止んでしまった。

その間に散髪終了。

待っていた親は子供理髪料金を払った。しかし森永ミルクキャラメルにこの代金は請求されなかっ
た。

一箱の食べ残しと、まだ封を切っていない新品をもって親と手をつないで何事もなかったように家路についた。

すぐには気が付かなかったが、頭はスース―する。シッカロールの化粧のようなにおいはする。

散髪ミッションは騙されたように成功した。

その夜は三日月が出ていた。


そののち散髪というと決まってその床屋に通った。

小学校に上がり、転校もし中学に通い高校に通い大学で県外に出るまでほかの床屋に通ったことがなかった。

何事も最初が肝心。

そこでつまずかなかったので、長い長い付き合いになってしまったのだろう。



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EXPO'70 [幼少時代]

昔々。ちょっと昔。

1970年。大阪で万国博覧会が開かれた。

小学生2年の時に、京都の親戚のおばさん宅を訪ねて上京した。

目指すは、EXPO'70。

何やら今まで見たことのない会場が出来上がっていた。

開会式には参加できなかったが、そこにあったのは巨大モニュメント「太陽の塔」である。

「へんてこな格好だが、何となくかっこいいなあ」私の感想である。

「人類の進歩と調和」をテーマに掲げ、77ヵ国が参加し、戦後、高度経済成長を成し遂げアメリカに次ぐ経済大国となった日本の象徴的な意義を持つイベントとして開催された。日本においては1964年の東京オリンピック以来の国家プロジェクトであり、多くの企業・研究者・建築家・芸術家らがパビリオン建設や映像・音響などのイベント制作・展示物制作に起用された。大阪市など会場周辺市街地では万博開催への整備がなされ、道路や鉄道・地下鉄建設など大規模開発が進められた。一方、第二次世界大戦以来の規模となる芸術家らの国家イベントへの動員は文化・芸術界内部で批判があったほか、同じく1970年に予定されていた日米安保条約改定に関する議論や反対運動(70年安保闘争)を大イベントで国民の目からそらすものだとして、大学生らによる反対運動も行われた。
テーマ館の太陽の塔やアメリカ館・ソ連館などの、人気パビリオンでは数時間待ちの行列ができるなどして大変混雑した。特にアポロ12号が持ち帰った「月の石」を展示したアメリカ館の行列は延々と続き、途中であきらめて他の館へ行く人も多かった。その異常な混雑ぶりから、テーマをもじって「人類の辛抱と長蛇」や「残酷博」と揶揄されたことがある。また、国際博覧会史上初めて黒字となった。
名称:日本万国博覧会 (Japan World Exposition, Osaka 1970)
テーマ:「人類の進歩と調和」(Progress and Harmony for Mankind)
開催期間:1970年3月15日〜9月13日(183日間)(開会式は3月14日)
性格:国際博覧会条約に基づく第1種一般博 (General/first category)
会場運営:財団法人 日本万国博覧会協会
面積:330ha
総入場者数:6,421万8,770人(うち外国人 約170万人)
目標入場者数:3,000万人(その後5,000万人に上方修正)
参加国数:77カ国4国際機関
迷子になった親と子供の数:22万643人
モノレールへの乗車人員:約3,350万人
売上金額:入場券 約350億円 食堂・売店関係 約405億円
1日の入場者:最高 83万5,832人(9月5日) 最低 16万3,857人(3月16日) 平均 約35万人
迷い人:大人 12万7,453人 子供 4万8,190人
落し物:5万227件(そのうち、金銭は4,780万円)
食中毒:43件 計404人
大阪万博の最終的な総入場者数は約6,421万人で、2010年中国・上海で開かれた上海万博に抜かれるまでは万博史上最多であった(上海万博は約7,308万人)。また、愛称の「万博(バンパク)」は、この博覧会の正式名称の「万国博覧会」を略したものだが、その後の博覧会の愛称にも引き継がれている(科学万博=つくば博、花の万博=大阪花博、愛知万博=愛・地球博)。
なお、1940年3月15日から8月31日にかけて東京で開催される予定で、日中戦争の激化などを受けて開催延期された「紀元2600年記念日本万国博覧会」の前売り券が本博覧会で代替として使用できたため、約3,000枚が実際に使用された。
(quotation from Wikipedia)

特に見たかったのが「アメリカ館」の「月の石」であったことには間違いない。

相当並んでいる会場に入るまでが長い長い。

やっと館内に入るとクーラーが効いていた。

そこでも月の石が見えるところまではまだまだ長い。

やっとたどり着いたが小学校2年生の背丈では背伸びしてやっとのぞける程度。

月の石の感想は「普通の石と変わらんなあ」であった。

何より異空間を体験できたことと、月の石までがまるで地球の引力から脱すために使われたエネルギーのようにくたくたになりましたが全体の感想である。

パンフレットをたくさん持ち帰り自宅でよく眺めていましたがそれのほうが喜びが大きかった「デザイン的に優れていたので」でありました。[TV]










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「キングジョー」攻略法 [幼少時代]

ウルトラ怪獣におそるべし「キングジョー」という合体怪獣(正確にはリモートコントロールされた合体ロボット)がいた。

モロボシダンの名を借りてウルトラセブンは外来怪獣を退治する。また、ウルトラ警備隊も地球を守る。チームプレーで敵と戦う。

このストーリーが毎週30分間土曜日の午後7時ゴールデンタイムに放送されたウルトラセブンのなかで繰り広げられるのである。


ところが「キングジョー」に関しては特別であり例外であった。

ウルトラセブン倒れる。

子供心に円谷監督ウルトラマンでもゼットンに敗れたがなぜ完璧にいかないのだろうと...

キングジョーが現れ合体し町を破壊していく。ウルトラ警備隊では歯が立たない。

モロボシダンがウルトラセブンに変身する。

「キングジョー」と対戦する。


しかし、どんなにやっても歯が立たない。疲れ果てたウルトラセブンは倒れるのであった。

なぜ?

ウルトラセブンのアイスラッガーは超合金ロボットには歯が立たない。ウルトラセブンの戦術はたけているのだが...。

しかし。

そこで考えなおした。ウルトラ警備隊、明日の戦略を考えたのである。

明日の戦略を決めることになった。30分の放送枠では収まらないので「つづく」になった。

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例えば

「ウインダムとミクラスを二人登場させては?」ではなかった。

「合体する前に攻略しては?」であった。

昨日の戦術を捨て、明日の戦略が決まった。

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キングジョーの合体前の3体が再び飛んでくる。リモートコントロールで操作されている。

霧山隊長GOサイン「戦略開始!」

個別に攻撃をかける。制御はバラバラになる。

「ミッション成功」

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昭和42年このドラマは2週にわたり放映された。例外中の例外。ウルトラセブンでも歯が立たなかったロボット怪獣「キングジョー」。

子供心に「キングジョー」は、最もかっこいいウルトラ怪獣に輝いたのあった。

「キングジョー」攻略法は昨日の戦術を捨て明日の戦略を練ることから勝利を得たのである。[TV]




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サンダーバードガス爆発 [幼少時代]

私が、小学校3・4年の時の話である。

家の離れにおばあちゃんが一人で住んでいた。

よく弟とおばあちゃんの所へ行っては、足の付いた木製の大きな(昭和40年代ごろ)テレビを見せてもらっていたのである。

チャンネル権はこちら側にあり、おばあちゃんはテレビというハイテクにはあまり関心のない様子でただ付き合いで黙って孫の見る「ロボコン」などを眺めていた。

またおばあちゃんにとっては部屋についている「スイッチ」もハイテクである。どこをONにするとどこの照明がつくかわからなかったらしい。

機械ものに割と強かった私は、スイッチに名前を書いてあげることにした。

「ここを押すとここがつくんよ」

「へえ~へえ~」

たいそう使い勝手がよくなったみたいで喜んでいた。

冷蔵庫、水道の蛇口の使い方などなど生活に関するアドバイスを私がすることになった。

当時トイレは汲み取り式か、せいぜい簡易水洗式の単独浄化槽がついているぐらいであった。

風呂はガス湯沸かし器にて水を張って湯を沸かし頃合いを見計らって自分で止めるというものであった。

それらは当時としては当たり前の設備ではあったのだが。

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ある夏の日、おばあちゃんが風呂を沸かしていた。

「なかなか湯がわかんのんよ~」家に相談に来た。

どれどれ、おばあちゃん専属の技術屋さんである私がサンダーバードのごとくレスキューに向かった。

風呂場を観察して「元栓もひねってあるし、点火スイッチで風呂をたくモードになっている」

サンダーバード1号が現況を観察した。

続いてサンダーバード2号が故障個所を直しに行く。

「風呂場内はまず問題ない、原因は屋外の湯沸かし器にあるようなので故障個所を直す」

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「コックはひねってあるのでこれは問題ない」「しかし湯を沸かす音がしないぞ?」「点火スイッチをカチカチしてみよう」

サンダーバード2号が特殊技術を使って仕事を始めた。

と、その時。 

「ボカン!!」

ガス爆発が起こった。

原因は種火(メインバーナーに火をつけるところ)がついていない状態で、メインバーナーがひねってありガスが屋外ではあるが充満していたため、点火スイッチの火花でガスに引火したためであった。

バージルは、髪の毛・眉毛・まつげが焦げ落ちた。

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おばあちゃん的には、何が起こったのかはわかっていないらしく改めて沸かしなおしたお風呂に気持ちよさそうに入っていた。

サンダーバードは任務を遂行し家へと帰還した。[カチンコ]



本作は1963年『海底大戦争 スティングレイ』の後番組を構想中のジェリー・アンダーソンが、ドイツのマチルド鉱山で起きた、129人が生き埋めになった浸水落盤事故で、29人が死亡したが懸命な救助の結果100人が救出されたこと(レンゲデの奇跡 (Wunder von Lengede))を知り「国際的な協力で、科学的な設備を持って救助すれば被害は食い止められる」と思いつき、企画案「国際救助隊」をまとめた。
ITCのルー・グレイド(英語版)が本企画を承認し、ポルトガルのアルブフェリア村の貸別荘でシルヴィア・アンダーソン(英語版)に口述筆記させ完成させた。最初のエピソード「SOS原子旅客機」("Trapped in the sky")は、ジェリーが従軍していた頃にマンストン基地(英語版)で目撃した胴体着陸事故に基づく。企画成立直前に、ジェリーは第二次大戦中に行方不明(後に戦死と認定)となった兄ライオネルからの手紙に記された「Thunderbird Field[2]」にちなみ、企画タイトルを「Thunderbirds(サンダーバーズ)」とし、それまでレスキュー1 - 5と呼ばれていた国際救助隊のメカもサンダーバード1-5号に改めた。
制作当時に於いて、従来のマリオネットを使った映像作品にはなかった事前に俳優の台詞を録音した録音テープの音声に連動し、その音声信号により同期させて人形の唇を動かす「リップ・シンクロ・システム」という装置を、マリオネットの頭部に内蔵し、マリオネットの口の動きを台詞と同期した手法を使用して、時折、マリオネットでは表現しにくい「手のアップ」「歩く姿」等の部分に関しては、実写映像を挿入し、より人間的表情を表現して、特撮を駆使して実写に近いリアル感を演出した「スーパーマリオネーション」と呼ばれる映像表現手法を使用している。
製作は操り人形を用いた特撮映画やテレビシリーズを多く製作していた、ジェリー・アンダーソン率いるAPフィルムズで、配給会社はインコーポレーテッド・テレビジョン・カンパニー(英語版)であった。
本作を見て、グレイドは「もはや映画だ」と絶賛し、当時ITC配給中最高級の1本22,000ポンドを与え、30分番組の予定を1時間枠に拡大した。放送開始と共に、全国紙で特集が組まれるほどの社会現象を引き起こし、子供番組史上まれに見る人気作品となった。

(quote from Wikipedia.)

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天使の誘惑 [幼少時代]

「レコード大賞」が、大晦日の締めくくりだった頃
この曲が「レコード大賞」をとった。

なじみやすい歌だったので、みなが口ずさんだ。
今聴いても、良い曲だなあと思う。

「故きを温ね新しきを知る」



見つめていた [幼少時代]

昔々。ちょっと昔。

幼稚園の卒園集合写真撮影。

「みんな並んで並んで~」

ユリ組、壇上へ上がる。

正面のカメラさんが一言。

「こっち向いて笑ってくださいね~」

私は、笑えなかった。

正面の乾板カメラがどうも気になって、見つめていたのである。

集中していたのか、口をあんぐり開けて、本気で観ていた。

「ではとりま~す」

パシャ

できあがった卒園アルバムには、口を開けたままの自分が写っていた。



「みる」にはいろいろな漢字が当てられる。

ただ単に「みる」は:「見る」(英語では「look」)

テレビを「みたり」するのは:「観る」(英語では「watch」)

富士山をながめて「みる」のは:「覧る」(英語では「view」)

などなど。



あのとき私は、生まれて初めて遭遇したカメラを、

「なんだろうこれは」

といぶかしげに見つめていたのである。



今でも、興味をそそるものは「見つめてしまう」のだ。

Slow Ballade [幼少時代]

「幼い頃」を思い出してみる。

木枠の窓を開けて、夜空をみていた。
ベランダにほお杖をついていた。
しばし、時を忘れていた。

あたりは、街の明かりがちらほらと。
月影と星が出ていた。
夜風が涼やかである。

遠くの方で汽笛の音が聞こえた。
夜行列車の汽笛の音である。
当時(昭和30年代)列車と言えば蒸気機関であった。

「ぴー」「ぴー」「ぴー」

「長い波長」で遠くから響いてくる。
まるで生き物のようなのである。
哀愁を感じたりする。

歌謡曲もなぜか「のんびり」した感じ。
「黒猫のタンゴ」は、アジのひものをお預けにされたりした。
「バラが咲いた」ら、さみしかった僕の庭が明るくなったりした。
「上を向いて歩こう」とするのは、涙がこぼれないためだった。

何とも「スローバラード」ではないか。

もう一度...もう一度...

聴かせてほしい「Slow Ballade」

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