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Twitterまとめ投稿 2019/09/12


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生き延びた体のあざ [サバイバル]

会社で給料をもらうようになった。

貯金するようにした。

割と自分にしては築かないうちにたまっていった。

仕事を転職することになった。

「さて、通勤はどうしよう」と考えた。

街に出てみた。かつてのあこがれを振り返ってみた。憧れを実践するためのデザインを考えた。

「黒い車」私のビジョンになった。夜景の映り込みがきれいである。

早速車販売の知り合いを呼んで自分の資金と釣り合う車を探すことになった。

あまり迷わず「ワンダーシビック・サンルーフ付き」に決まった。

あと条件として、オーディオはパイオニアのガセットオーディオは譲れなかった。

かつて友達と瀬戸大橋開通の見学ランデブーにスズキのジムニーに3人乗って(私は後部座席で小さくなっていた)行ったときオーディオはそのものであり、あまりにもタイミングよく好きな曲が流れてきたので「これいいな~」と常々思っていた。


新車が納入された。やはり黒は美しかった。

通勤に使った。3年間使った。その間いろいろなところにドライブに出かけた。

仕事場が3年たったところで異動が決まった。まったく新しいところでである。

水防訓練の出席を命じられた。

会場を探しに来るまで休日に出かけた。かなり迷ってしまった。街並みが3年間の間に変わってしまっていたので方向の感覚がうまく働かなかった(その当時ナビゲーションシステムというものはまだ登場していなかった)。

会場探しをあきらめて家路につくことにした。そのあと思いもよらぬアクシデントに見舞われるとは...

十字路直線走行、右から軽四近づいていた。停止線が見えていた。

「一旦停止するだろう」がいけなかった。

計四は止まらなかった。私もブレーキをかけなかった。

衝突。

私は車にめり込んだ電柱と、計四のフロント部分に挟まれる格好で強い衝撃を受けた。私の車は田んぼに落ちた。


しばらくは何が起こったのかわからないくらいで、気を取り戻した時には「大変なことをしてしまった」と心臓の鼓動が以上に早くなった。

周りは民家で、事故に気付いた人が110番してくれた。

警察到着。まず状況報告と確認。それが終わってから「田んぼにガソリンが漏れている可能性があるので所有者に謝っておくように」と告げて警察は引き上げた。

半ばパニック状態で回りの民家を訪ねていく。「田んぼの持ち主ではありませんか」声は上ずっていた。

4,5軒回ったところで持ち主を見つけた。丁寧に謝った。

レッカー車が到着し、車は修理工場へ運ばれることになった。車販売の知り合いも駆けつけてくれ自宅まで送ってくれた。

事故処理は終わった。


家についてから両親に事情を伝えた。


泥まみれ、油まみれになった衣服を着替えたとき、上半身に十字の大きなあざができていた。

衝突の衝撃でシートベルトのあざができていたことを自宅に帰って服を抜いてから気が付いた。


もしシートベルトをしていなかったら、自分の体は車にめり込んだ電柱に強く打ち付けられあの世へ行っていた。


数日後修理工場に運ばれた車を見に行くことになった。

「シャーシがひずんでいるので修理することができません」とのことで車は廃車になった。

この時から自分の車の運転が変わった。

「安全運転、安全運転」


体にできていたあざは気が付かない間に消えていた。










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初めてのスキーは痛てててて [猫のび]

大学の時何が発端かわからないが初めてスキーをしてみようと決心した。

大学の体育授業の一環でスキー合宿が行われることになり参加を希望した。

もちろんスキーの道具類は持っていなかった。ウエアーだけは自前で買った。

ところが、そのスキー靴、板、ストックは大学で貸してくれることになっていたのだが参加人数が予想以上に多く新品で用意したレンタル分だけでは足りなくなってしまった。

どこかの使用品で空いているものを調達して残りの人に貸し出すことになった。

私はその後者の道具を借りることになった。

「どれも高級ブランドの靴、板、ストックであるのだよ」と顧問の先生は嫌に強調して私にその道具を貸してくれた。

初心者の私は「これは得した」と思ったのはその時だけ。そのあと悲惨な目に合うとは思いもよらなかった。


スキー合宿当日道具スキーウエアーをもって信州のスキー場へバスで向かった。

晴天に恵まれスキー日和であった。

ウエアー、スキーブーツを装着し板思ってゲレンデへ向かった。

初心者だけにリフトを使わず歩いて斜面をもぼり滑る、止まる、曲がるの連取をするように説明を受けた。

ところが、説明のとおり行っているとまずスキー板がうまく装着できない苦労から始まった。スキーブーツが固めでタイトで足にインパクト?が与えられていたのでうまく力が入らなかったのである。しかも丈は短かった。

「雪面化に歩きというけど、どうも膝あたりが痛いなあ」と思いつつ1日目の合宿の練習日程が終わった。

ロッジに戻ってスキー靴を脱いで、スキーウエアーから普段着に着替えたとき驚いてしまった。

「ソックスに血がにじんでいるなあ。」脱いでみると、

膝から出血。

あまりにもスキー靴、スキー板がプロ仕様でガチガチだったため、膝がこすれて血まみれになって練習していたのだった。

持っていたバンドエイドで応急処置をした。

ほかの上級リフトOKメンバーが「あそこの谷はこうエッジを聞かせてカーブすればいいのだ」などと自前の最新式の赤いスキー靴を手入れしながら言っていたが自分はそれどころではない。膝が真っ赤である。


一日目でダメージを受けた私は二日目最終日の練習に向かった。

できるだけバンドエイド。できるだけ靴下を重ね履きしたが靴のサイズがぴったしなので余計に窮屈な体制になってしまった。

蚊に歩き。ボーゲン。キックターン。

すべての動作について膝のことが気になり痛かったので身が入らなかった。

二日目の練習終了。

急いで部屋で膝の様子を見る。

まっかっか。痛てててて。

何とも心細い気持ちになった。


夜は合宿終了の打ち上げがある。痛い足をひこずりながら宴会会場へ。

体育の先生がエイトマンのパフォーマンスダンスを披露してくれ会は大いに盛り上がった。


膝の痛みはバンドエイドよりもエイトマンのおかげで痛みが和らぐのであった。[スキー]






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Twitterまとめ投稿 2019/09/09


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床屋泣かせの私 [幼少時代]

昔々。ちょっと昔。

初めて床屋に行くことになった。

もう戦闘状態、泣きわめきの状態、パニック状態の私になっていた。

実は、幼稚園に通う頃私は白血病と診断され3か月入院退院。3か月入院退院を経験し絶対安静の日々を送っていたのだ。

「白衣」=「恐怖」の方程式が私のトラウマになってしまっていた。

散髪は今まで、はさみのようなバリカンのようなものでおばあちゃんに切ってもらっていたのだが。

何事も訓練ということで床屋へ行かねばならなくなってしまった。

応戦むなしく親に連れられて床屋についてしまった。

石鹸のにおいのような、また整髪剤のようなにおいが床屋のなかで漂っていた。

店員さんは初老の夫婦であった。

大きな何ともメカニカルな椅子が子供の体には大きすぎて補助いすが用意されていた。

もうこの時点で自分は震えあがってしまっていた。恐怖症トラウマ全開である。

「どう切りますか?」店主は親に尋ねた。

「短めに」と親は告げた。

エリマキトカゲになって補助いすに座った私はこの時点で割と覚悟ができていたのだが。

黙って店主は大きな手でまず霧吹きをし、おもむろにはさみで頭を切り始めた。

何とかこらえていたが、恐怖のあまり私は泣き出してしまった。またイヤイヤ(暴れるに近い)をしだしたのである。

店主は困った。

戦略を考えたらしい。床屋の隣は八百屋というかお菓子屋であった。

奥さんお菓子屋に森永のミルクキャラメルを二つ買いに行った。

床屋に戻って、半ばイヤイヤ怪獣となっていた私に森永キャラメルが猫に木天蓼か与えられた。

ピタッと泣き止んでしまった。

その間に散髪終了。

待っていた親は子供理髪料金を払った。しかし森永ミルクキャラメルにこの代金は請求されなかっ
た。

一箱の食べ残しと、まだ封を切っていない新品をもって親と手をつないで何事もなかったように家路についた。

すぐには気が付かなかったが、頭はスース―する。シッカロールの化粧のようなにおいはする。

散髪ミッションは騙されたように成功した。

その夜は三日月が出ていた。


そののち散髪というと決まってその床屋に通った。

小学校に上がり、転校もし中学に通い高校に通い大学で県外に出るまでほかの床屋に通ったことがなかった。

何事も最初が肝心。

そこでつまずかなかったので、長い長い付き合いになってしまったのだろう。



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Twitterまとめ投稿 2019/09/03


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