始めての私の仕事 [仕事]
かつて私は豆腐屋で働いていた。
豆腐を作る型を洗うのが私の仕事てある。もう一人同じ仕事をしていた友達がいた。
毎日おんぼろの赤いラッタタースクーターで職場に向かう。さほど遠くもなく若かったので通勤は町を通り抜けながら寒くても暑くても毎日通った。
豆腐屋の職員は年上のの方ばかりでやや緊張した面持ちで仕事していた。もう一人の相方もそうであるようだった。
最初は見習いから始まった。
とにかく作られる豆腐の型を2人でたわしで洗うのである。朝から夕方まで洗い続ける。周りのことはよくわからないままでひたすら型を洗い続けた。
2週間もしたところであろうか、工場長から「型に入れた豆腐を水槽に出してください」との命令が出た。
大きなプールのような水槽に豆腐を型から崩れないようにそっと出してやる。
水は冷たく豆腐は柔く型は大きく重く最初は崩れた。
割と回数を重ねるうちコツがわかってきた。真四角の豆腐が水槽にきれいに流し込めるのはうれしいものである。
時々人が足りない時にさせてもらったのだがかなり喜んでしていた。
相方は、あまり器用でないか型洗いの仕事から離れることはなかった。
2人並んで型を洗っていると、相方がつかれてきているのが私なりに分かった。
「A君、タバコ吸いに行こう」屋外に誘った。
2人は黙って休憩に入った。A君黙ってうつむき加減にタバコを吸っている。
屋外では、多量に出たおからがやまずみになっていたり、油揚げにするやや硬い豆腐の保冷庫があったりして雑然としていた。
2人で5分ばかりタバコを吸った後、また型を洗いに戻る。
そうこうしているうちに、私の仕事のバリエーションは増えていく半面相方のA君はひたすら型洗いの場から離れることはなかった。
1か月がたち2か月がたち体調が悪かったりした時もあるが毎日通った。
A君も頑張ってきていた。
昼は、給食の弁当を食堂のようなところで食べていた。
豆腐を崩れないようにパックに入れる仕事をしていたおばちゃんから、よく差し入れがあった。
「何歳なの?私より若いんだから漬物あげるから頑張ってやりなさいよ」
よく話をした。仕事のエネルギーに十分なった。
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3か月もしたところであろうか、豆腐屋の仕事から離れる時が来た。A君もである。
若かったが重労働のせいもありやめる時には内心ほっとしていた。
「よう頑張ったな~A君」
A君はいつものように黙っていた。
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それから私はまたほかの仕事に就きあれこれしているときに私の所にある知らせが届いた。
「A君、飛び降りたそうよ」
「......」
話を聞いたときあまりショックは受けなかったがあとからあとから、悔しいやら、悲しいやら、摂津無いやら、苦しいやらであった。
今でもあの少し汚れた長靴と前掛けの姿を思い出すと、泣けてくるのである。
「もう一回煙草に誘ってあげていれば...こんなことには...」
思い出すたびに悲しく泣いてしまうのだ。
30年以上も前の話である。
私の本当の仕事は何だったのだろうかと、いつも考えさせられる「私の初めての仕事」であったのである。
豆腐を作る型を洗うのが私の仕事てある。もう一人同じ仕事をしていた友達がいた。
毎日おんぼろの赤いラッタタースクーターで職場に向かう。さほど遠くもなく若かったので通勤は町を通り抜けながら寒くても暑くても毎日通った。
豆腐屋の職員は年上のの方ばかりでやや緊張した面持ちで仕事していた。もう一人の相方もそうであるようだった。
最初は見習いから始まった。
とにかく作られる豆腐の型を2人でたわしで洗うのである。朝から夕方まで洗い続ける。周りのことはよくわからないままでひたすら型を洗い続けた。
2週間もしたところであろうか、工場長から「型に入れた豆腐を水槽に出してください」との命令が出た。
大きなプールのような水槽に豆腐を型から崩れないようにそっと出してやる。
水は冷たく豆腐は柔く型は大きく重く最初は崩れた。
割と回数を重ねるうちコツがわかってきた。真四角の豆腐が水槽にきれいに流し込めるのはうれしいものである。
時々人が足りない時にさせてもらったのだがかなり喜んでしていた。
相方は、あまり器用でないか型洗いの仕事から離れることはなかった。
2人並んで型を洗っていると、相方がつかれてきているのが私なりに分かった。
「A君、タバコ吸いに行こう」屋外に誘った。
2人は黙って休憩に入った。A君黙ってうつむき加減にタバコを吸っている。
屋外では、多量に出たおからがやまずみになっていたり、油揚げにするやや硬い豆腐の保冷庫があったりして雑然としていた。
2人で5分ばかりタバコを吸った後、また型を洗いに戻る。
そうこうしているうちに、私の仕事のバリエーションは増えていく半面相方のA君はひたすら型洗いの場から離れることはなかった。
1か月がたち2か月がたち体調が悪かったりした時もあるが毎日通った。
A君も頑張ってきていた。
昼は、給食の弁当を食堂のようなところで食べていた。
豆腐を崩れないようにパックに入れる仕事をしていたおばちゃんから、よく差し入れがあった。
「何歳なの?私より若いんだから漬物あげるから頑張ってやりなさいよ」
よく話をした。仕事のエネルギーに十分なった。
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3か月もしたところであろうか、豆腐屋の仕事から離れる時が来た。A君もである。
若かったが重労働のせいもありやめる時には内心ほっとしていた。
「よう頑張ったな~A君」
A君はいつものように黙っていた。
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それから私はまたほかの仕事に就きあれこれしているときに私の所にある知らせが届いた。
「A君、飛び降りたそうよ」
「......」
話を聞いたときあまりショックは受けなかったがあとからあとから、悔しいやら、悲しいやら、摂津無いやら、苦しいやらであった。
今でもあの少し汚れた長靴と前掛けの姿を思い出すと、泣けてくるのである。
「もう一回煙草に誘ってあげていれば...こんなことには...」
思い出すたびに悲しく泣いてしまうのだ。
30年以上も前の話である。
私の本当の仕事は何だったのだろうかと、いつも考えさせられる「私の初めての仕事」であったのである。
2019-05-06 03:31
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