ウルトラ進学計画(どうしても美大編) [大学]
大学受験も大詰めに入っていた。
私の進路は東京に出たいということには変わらなかったが、かなり迷っていた。
当時80年代、若者文化である平凡出版「ポパイ」流行音楽YMO「テクノポップ」SONY「ウオークマン」なるものが出現していた。ビジュアル的また音楽的に新しい流れが始まっていた。
理数系的でもあり文化人文的でもあり美的でもあり、私の中では受験自体よりも「カルチャー」のことばかりを考えていた。
そして
「志望校にどうしても美大を入れることにしよう」と決心した。
まず学校の先生を説得しなければ実現しない。
担任のY先生によく相談したところ、自分の実力を美術担当のS先生に観てもらい、それからということになった。そして「デッサン」を書いてS先生に観てもらうことになった。
数週間後、自分の家にあるペン立てを描いて学校へもっていった。
S先生
「................」はじめ何も言わなかった。
「まあ受けてみるだけ受けてみなさい」
最初の難関がクリアできた。
武蔵野美術大学と多摩美術大学を受験校に加えることにした。
もちろん理工系大学も含めての話である。
それから数学の参考書と画材道具を持って変則的な受験をするために東京へ行くことになったのである。
私の進路は東京に出たいということには変わらなかったが、かなり迷っていた。
当時80年代、若者文化である平凡出版「ポパイ」流行音楽YMO「テクノポップ」SONY「ウオークマン」なるものが出現していた。ビジュアル的また音楽的に新しい流れが始まっていた。
理数系的でもあり文化人文的でもあり美的でもあり、私の中では受験自体よりも「カルチャー」のことばかりを考えていた。
そして
「志望校にどうしても美大を入れることにしよう」と決心した。
まず学校の先生を説得しなければ実現しない。
担任のY先生によく相談したところ、自分の実力を美術担当のS先生に観てもらい、それからということになった。そして「デッサン」を書いてS先生に観てもらうことになった。
数週間後、自分の家にあるペン立てを描いて学校へもっていった。
S先生
「................」はじめ何も言わなかった。
「まあ受けてみるだけ受けてみなさい」
最初の難関がクリアできた。
武蔵野美術大学と多摩美術大学を受験校に加えることにした。
もちろん理工系大学も含めての話である。
それから数学の参考書と画材道具を持って変則的な受験をするために東京へ行くことになったのである。
2022-05-21 05:00
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